
希望が丘高校から早稲田大学を経て、実業団の日製日立で活躍する高田直騎さん。フルタイムのサラリーマンとして働きながら全日本社会人でランクインを果たす「強いサラリーマン」の卓球人生と、大島祐哉選手との出会いについて伺いました。

——卓球を始めたきっかけを教えてください。
一番最初は自分の姉がいるんですけど、姉が塾で卓球を始めて。最初は付き添いでついて行くぐらいだったんですが、自然とボール拾いとか、ボール遊びをするようになって気づいたら卓球に没頭していました。
——小学校時代はどういう卓球生活でしたか?
最初はもう本当に遊び感覚で、続ける気はそこまでなかったんですけど、親が熱心にやれやれ感が強かったので。あとは、自分も勉強が得意な方ではなかったんで、「スポーツで結果出してやるぞ」ぐらいの感覚で、学校終わったらすぐ練習という生活でした。
——いつ頃から卓球に没頭するようになったのでしょうか?
たまたまバンビの地方予選を2年生で通ることができたんですが、そのときに全国大会というものを初めて知りました。そこから「もっと強くなろう」と思って、練習に打ち込むようになりました。
結局、小学校のときはベスト8に一回も入れなくてベスト16止まりだったんですが、全国ホープスは小学校6年生のときに優勝できたので、そこは小学校で一番いい思い出になってます。
——中学校は大阪の上宮に行かれましたが、地元を離れての生活はいかがでしたか?
最初の2年間は中学生寮がないので、母親だけ一緒に大阪に来てくれて2人で生活をしていました。中学3年生のときに、初めて入寮させていただけることになったので、中学3年間の1年間だけは母親と離れて寮生活をしていました。
——高校は希望が丘でしたが、高校生活はいかがでしたか?
自分の1個上だと松下海輝さんとか徳永大輝さんとか、逆に1個下だと木下にいる田添健汰とか、上村慶哉とか定松祐輔とか。ちょうど間に挟まれた年で、その上も下も強い環境に付いていくのが精一杯だったんですけど、あの3年間はやりきったかなという感じですね。
——大学は早稲田に進学されますが、入学直後の印象はいかがでしたか?
1個上に大島裕哉さんと山本勝也さんがいたんですけど、大島さんと山本さんの2人が飛び抜けて成績を出してくれていたので、チームとしても「他の選手が頑張って勝てば2人は楽できるぞ」という気持ちで、練習量は追い込んでやっていました。
——早稲田での4年間で印象的だったことはありますか?
逆に2人が抜けた後はチーム戦力的に厳しくて、最初の春リーグは本当に入れ替え戦に行くか行かないぐらいの結果で。自分自身もキャプテンをやらせてもらっていたので「やばい」っていう危機感しかずっとなくて。
その年のインカレもベスト8で終わって、「最後の秋リーグぐらいはいい成績を出してやろう」っていう気持ちが強かったので、秋リーグ前の夏合宿で追い込んで、チーム全体の底上げと自分自身の状態も高めて。結果的に、秋リーグで2位まで上がれたので、個人的にも安心できました。

——卒業後の進路として日製日立を選んだ理由について教えてください。
まず卓球を続けるかどうかを悩んでいて、卓球を続けるなら指導者になりたいという気持ちが一番強くて。けど、大学時代に教員免許を取っていなかったので、もし指導者になるのであれば後から教員免許を取るルートになると思ったので、OBの方から仕事しながら卓球ができる実業団をいくつか紹介していただいて、日製日立を知りました。
日立は大手の家電メーカーぐらいのイメージしかなかったんですが、「全日本実業団にすごく重きを置いて活動している」ということを聞いて、「自分もまだ選手としてやれそうだな」という気持ちが湧きました。あとは、早稲田の選手は日立には誰も入ったことがないので、新たな挑戦として自分が行ってみようかなという気持ちで挑戦してみました。
——今はどういうお仕事をされているのでしょうか?
自分は日立の病院内の管理職です。部員全員が同じ部署ではないんですが、大卒で入った人は現場ではなく管理職配属が多くなるみたいです。
——今の仕事の魅力について教えてください。
私は卓球しかやってこなかったので、卓球界以外のいろいろな人と関われることはすごくいいですね。いろんな性格・価値観の人がいるなかで仕事をすることは、人間的に成長ができると思います。
——社会人生活と卓球の両立はいかがですか?
基本的に普通のサラリーマンと同じなので、自分の職場は8時スタートの16時半終わりでやっています。そこから残業がないときは練習しに行くんですが、練習時間を確保したいときは早めに出勤して仕事するようにしています。
——普段の練習はどちらでされているのですか?
自分は茨城県の明秀学園さんにお世話になっています。芦間監督にもすごく良くしてもらっているので、私も少しでも何か還元できたらと思って、生徒の指導もやっています。
社会人になると練習場所と練習相手の確保が難しくなるので、明秀学園さんには感謝しかないですね。

——選手として卓球はいつごろまで続ける予定ですか?
個人的にはできる所までやりたいんですが、チーム状況も踏まえて、監督や若い選手の考えも尊重しながら考えようかなと思います。
一応、チーム方針としては30歳が目安なので、今の自分は続けるか辞めるかを選べる状況ではあります。お世話になっている明秀学園さんにもサポートというか恩返しもしていきたい気持ちはあるので、指導者という道も一つの選択肢としてはあるかなと。
——最後に今後の展望をお聞かせください。
今はサラリーマンを辞めるつもりはないので、会社に所属しながら自分なりの高みを目指すというか、日々戦っていきたいなとは思います。卓球に関しては現役でやれるうちは頑張って、それと同時に自分の夢や目標も一緒に追いかけていきたいです。
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